光を追うもの


 やっぱり、あたしがここに来たのは間違いだった。絶対そうだ。
 たとえ、王族からお呼びがかかったからって、あたしは、こんな公の場にふさわしくない。
 それは十分すぎるくらいわかっていた。はずだったけど。
 一人で宿屋(もしかしたらゼロスの屋敷だったかもしれない)で待っているなんて、耐え切れないと思ってつい、行くなんて言ってしまったのだから。
 今更後悔したって、もう遅い。


「……はあ」
 あたしは周りで楽しそうに酒をあおっている貴族達に聞こえないように、小さくため息をつく。
 今催されているこの晩餐会は、王女誘拐事件があった際にあたしたちが助けたその感謝を示すため、だそうだ。
 そういうわけだから、もちろんこの会場内にはあたしが知っている顔もちらほら見える。でも、お嬢様方に囲まれたり、学者に混じって話をしたり、顔見知りらしき貴族と話をしたりなんてこと、あたしが出来るはずもない。
 さらには意中の相手と二人きりの世界に入り込む、なんてこともなく(そもそもそんな相手はいないのだし)。
 一人でひっそりと飲み食いするのもいやで、壁際に寄りかかりつまらなそうな顔をしているであろうあたしに声をかけてくる人は、一人もいない。
 ……ただ、おそらくこの、やけに胸の強調されたドレスのせいだと思うけれど、そこかしこからちらちらと男の視線は感じる。
 ここに居ても居なくても、あたしは結局、一人なのだ。それを思い知らされたようで少し、心が痛む。
 でも、どうせ一人なら、居心地の悪いここよりも、宿屋でベッドにもぐってふて寝していたほうが、少しはましかもしれない。そう考えつつ、左手に持っていたノンアルコールドリンクを喉に流し込む。お酒ではない、という割には口の中でしゅわしゅわとはじけ、喉を刺激しながら食道を通過していく。こういう類の飲み物は好きではないけれど、飲み干さなければグラスを返せないので、無理にもう一口で流し込もうとする。

「よおしいな、晩餐会、楽しんでるか?」
 いかにも、俺は楽しんでます、と自己申告してるような声を出しながら、ゼロスが近づいてくる。
 その瞬間あたしに向けられるたくさんの、視線、視線、視線。中には殺気まで混じっている。
 ……しかしどうしてこの男はここまで人気があるのだろう。たとえ少し顔がよくても、神子だとしても、話しだせばたちまちランクががっと下がるような男が。
 とはいえ、腐ってもゼロスは貴族なのだった。今着ている、晩餐会用に特別に用意されたスーツをさらりと着こなしているところはさすがというべきか。
「……楽しむも何も、元々あたしにはこんなところ、いたって場違いなんだよ。だからもう帰ろうかと思って」
「何言ってんだよ、帰るも何も、まだ始まったばかりじゃねえか。これから盛り上がってくるんだから、それまで料理でも食べてろって。今ここに用意されている料理は全部、城のお抱え料理人が腕を振るったやつだから、味は一級品だぜ?」
「……いらない」
「それじゃあ、俺と、踊る、か?」
「曲が何も流れてないのにかい? 馬鹿馬鹿しい。とにかく、本当に何もすることもないから、帰るよ。じゃあね」
 いかにも演技がかったように片足をつき、右手をあたしに向けて差し出してくる。その仕草はほとんど完璧で、そういえばこいつも上流階級の人間だったっけ、と思わず感心してしまう。
 けれどそんなことされても何も嬉しくもなく、この場にいるのにも飽きてしまっていたから、その手を振り払って、とっととこの会場から抜け出してやろうと思った。……断りを入れた瞬間にいろんな角度から痛い視線が突き刺さったけど、それすらも無視して。
 だけどその目論見はうまくいかなかった。一歩右足を踏み出した瞬間、びりっと踵と小指に走る、鈍痛。
 我慢できる程度だったけれど、それでも痛みには変わらず、おもわず眉間に力が篭る。
 なるべく右足に体重をかけないように歩こうとして、無意識にぎこちない歩き方をしながらそれでもゼロスから離れていった……つもりだった。
 急に、ぐいと後ろから左腕を引かれ、振り向くとそこには、間近に迫ったゼロスの顔。
 あまりの近さに、驚きしか感じない。
「……お前、足、どうかしたのか?」
「え? な、なんともないよ。だから、腕、放して」
「なんともないはずねーだろ。さっきから、なんか変な歩き方してるし」
「別に、たいしたことないさ。ちょっと、慣れない靴を履いたから、それで……」
 しどろもどろに返答をしていると、はあ、と大きなため息を吐かれた。呆れた。そう言う代わりだろう。
 これは不可抗力だ、と若干ため息に落ち込みながら弁解をしようとした直前で、ひょいと、持ち上げられた。
 しかも、一番恥ずかしい、俗に言うお姫様抱っこ、で。
「ちょ、ななな、何やってんだいゼロス!! 早く下ろしとくれよ!」
 足が痛いとか言っている場合ではない。周りの視線がさらにこちらに集中するのを感じる。ひゅう、とどこかで口笛を鳴らすやつまでいる。
「何言ってんだ。靴擦れして歩くのもやっとな状態なんだろ? それなら、遠慮すんなって」
 いかにも慣れた風に軽々とあたしを持ち上げ、そのまま他の人を気にせず歩き出すゼロス。他人の好奇の目線を浴び続けるなんて、たまったもんじゃない。
「遠慮なんかしてない! 普通に歩けるって!! いいから下ろしとくれよ! 恥ずかしいだろう?!」
 じたばたと何とかもがいてみる。しかし、バランスを崩すと落ちてしまいそうになるので手ぐらいしか動かすことができない。さらに。
「あんま動くと、ドレスの中、見えちまうぞ?」
 にやりと笑って、ゼロスがそんなことを言う。……やっぱり、最低だ。この男。
 仕方なしにほぼ無駄だった抵抗を諦め、代わりにせめてあたしだと気づかれないようにと、顔を手で覆って隠す。
 恥ずかしさのあまり大きくなった心臓の音で周りがなにやら言っている声はもうほとんど耳には入ってこない。たださっさとこの会場から、この場から離れてくれないかと、ひたすらそれだけを考えていた。


「あーあ、結構ひどいな、これ」
 結局好奇の視線は会場を出るまで続いていた。
 外の街灯の下で、右の踵の状態を確認してみる。見事に擦り切れて、少し血が、にじんでしまっている。
 それほどではないと我慢していたとはいえ、改めて傷口を見てしまうと、とたんに痛みが増してきた様な気がしてくる。
「こうなる前にさっさと俺に言っとけばいいのに、どうして我慢なんてしてるんだよ、お前は」
 ほんとに呆れ口調で言われる。
 確かに、晩餐会が始まった直後くらいから違和感があったけれど、気づいたのはさっきだったんだから、仕方ないだろう。そう切り返す前に、ゼロスの言葉にどこか違和感を覚えた。
「ちょっと待って。何で、あんたにこんなこと言わなきゃいけないんだい?」
 あっけにとられたような表情をするゼロス。何も、変なことを言った覚えはないのだけれど。
「……お前さあ、もっと俺にも頼れって。何でもかんでも、ひとりで溜め込みすぎなのは、お前の悪い癖だぞ?」
 小さい傷だからって放っておいてあとで炎症起こしたり化膿したりすると面倒だし戦闘にも影響出るんだからな、とか続けながらファーストエイドをかけてくれるゼロス。柔らかい光が傷口を包み、一瞬のうちに痛みは引いていく。
 けれど、あたしが気になったのはそんなことじゃない。
 図星だった。確かに、あたし一人で何とかしようと、つい抱え込む癖は、自分でも自覚している。
 でも、だからって、すぐに他人に頼ることなんて、できない。
 だけど、その前に。
「どうして今、あたしはあんたに説教じみたことを言われる必要があるんだよ」
「説教じゃなくて、俺から見た感じをそのまま、言ってるだけだって」
 元のように靴を履かせると、こちらの顔を見ながら話を続ける。
「それにお前、今日つまらなそうにしてただろ。こういう場は、自分の立場を気にしちまうのかも知れねえけど、お前だって、俺らと一緒に世界を救う道を探して奮闘してるんだし、もっと堂々としてていいんだぜ。誰もお前に向けて陰口叩いたりなんて、しないんだからさ」
 驚いた。あの広い会場の中で、あんなに女性に囲まれた中で、あたしのことも気にかけていたなんて。
 堂々としてていい、なんて、言われたのも初めてだ。ミズホの民であり、忍だからこそ、あたしは人前に出るのを恐れていた。影に生きるものなのだと、思っていた。
 だからあたしは、光を求めてしまっていたのかもしれない。無意識のうちに。しっかりとした理想を持ったロイドに。誰の前でも物怖じしないゼロスに。
 ……少しだけ、こいつがなんで人気なのか分かった気がする。悔しいけれど。
「さて、応急処置は終わったし、宿屋に戻るか。ちょうど似たような会話ばっかで俺も疲れたしな」
 考えていたあたしに、ほら、と背中を向けられる。
「ああ、もう足だったら平気だよ、あんたが治療してくれたおかげでね。だから歩いて……」
「慣れない靴なら、左足だって靴擦れするかもしれないだろ? ほら、早くしろって」
 ……その体勢からいって、負ぶされってこと、だろうか。
「……ゼロス、あんた、あたしが今どんな格好してるかわかってんのかい?」
「なんだよお前、そんなこと気にしてんのか? 夜だしそんな人いねえから大丈夫だって。……どうしても嫌ってんなら、もう一度、さっきみたいに運ぶぞ?」
 にやりと下品な笑みを浮かべているような声であたしを急かす。次いで、早くしろ、と背中を向けられた状態で手招きされる。
 なんだか今日はやけにゼロスのペースに付き合わされてばかりだ。ただ、ゼロスの言うことにも一理ある。
「……じゃ、頼んだよ」
「おっけーおっけー、俺に任せとけって」
 なんとなく癪に障るけれど、たまにはそれに乗ってもいいかもしれない。結局ゼロスの肩に手をかけ、全体重を預けた。
 バランスを崩すこともなく立ち上がり、宿屋へと向け歩き出す。いつも見ているよりも実際はもっとしっかりしているゼロスの背中は、すごく大きく感じた。
「……有難う」
 聞こえないように小さく呟き、そして少しだけ、あたしに気づいてくれたことに感謝した。