ブラックアウト


 最後の一撃は、最愛の人の手で。
 嗚呼、こんなにも不器用な生き方しかできなかった俺でも、少しはマシな死に方ができそうだ。


「ゼロス……ゼロスっっ!!」
 意識を手放しかけ、深い泥の沼に沈んでいくところで聞こえた、何度も何度も必死に俺を呼ぶ、よく聞き慣れた声。ぼんやりと、でもだんだんはっきりと聴こえてくる。
 俺は……まだ、かろうじて生きているみたいだ。でも多分、もうすぐ、死ぬんだろう。その声に、意識を引き戻されなかったなら、もう、とっくに。
 体中の傷口から血がどくどくと流れ出て、自分の体の周りを生暖かさが包んでいく。深く傷つけられた体では、もう既にまともに動く事もできず、辛うじてひゅーひゅーと浅い呼吸を繰り返すだけ。
 その生暖かさとだるさで重くなっていた瞼を開けると、そこには、長い間目にしてきた、予想通りの声の主。
 ただしいつもみたいに強がってる顔じゃなく、とめどなくあふれ出る涙でぐちゃぐちゃになりながらも必死で俺の名を飽きもせず呼びつづけている、しいなの顔があった。
「はは……っ、馬っ鹿じゃねーの……っ、俺、は、お前等を裏切ったんだぜ? 自分の為、に」
「っ、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう? ……リフィル、何とかしてくれよっ!!」
「……ごめんなさい……。私には、もうどうする事もできないわ……」
「そんな……っ」
 視界の端にぼやけて映るリフィルさまは、俯きながらわずかに首をふるふると横に振るだけで。
 当然だ。裏切り者の俺には、情けをかける必要なんて無い。
 自分の為に仲間を打って、裏切って、傷つけて。
 そんな最低な俺は、ここで見切ってくれて十分だ。そもそも、今さっきの戦いで全ての力を失ってしまった以上、助かる見込みなんて……。多分誰よりも自分がよく知っている。どのみち、このままここで死ぬしかない。
「……」
 相変わらず俺の名を呼びつづけるしいな。少しでも出血を止めようとでもしたのか、両手は俺の紅い血で汚れている。
 馬鹿だ本当に。俺なんかのために。
 ……その、しいなの顔の後ろに、やはりまだ納得のいかないような、でも苦い顔をしているロイドの顔を見つけた。
「……ロイド、行ってくれ」
「ゼロス! 何言ってるんだい?!」
「お前等はこんなところで、俺なんかに構ってないで、さっさとコレットちゃんを助けに行けよ!! ……っ、俺はどうせもうすぐ、死ぬ。……けど、コレットちゃんは、このままだと、マーテルに、な、なっちまうんだ。俺なんかよりよっぽど、コレットちゃんのほうが大事だろう、がっ……」
「ゼロス……?」
 呆然とした表情のしいなの後ろで、ロイドはコレット、という言葉に反応したのか、それとも、俺に構うな、という意思を受け止めたからなのか、一瞬、顔をきゅ、っと歪め、そして深く頷いて。
「……わかった。行こう、みんな」
「ロイド?!」
「しいな、ゼロスの言う事は正しい。ゼロスには悪いけど……、俺たちには時間がないのも確かだ。コレットを一刻も早く、助けなくちゃいけないんだ」
「だけど……」
 ロイドの話を聞きながらも、ちらり、と困惑した表情を俺に向けるしいな。本当にこいつは、お人好しだ。
 でも、それでいいんだ。ロイドの決定のほうが、正しい。俺になんて構わずに、行ってくれ。
 だって、このまま死に際を見られるなんて、まっぴらごめんだ。
 俺はもう、言うことを利かなくなり始めてる手に最後の力を込めて、俺を起き上がらせていたしいなの体を押しやった。
「……行ってくれ」
 恐らく驚き、それと共になんで、と問いたげな表情をしているであろうしいなの顔を見ずに……いや、見れずに、一言だけ、言い放つ。
 できるだけ、冷たく。
 できるだけ、冷静に。
 できるだけ、突き放すように。
「ゼロ……」
「行けよ!!」
 ほとんど遮るように叫び、その影響で鈍く疼いた体の痛みに顔をしかめ、そして目を上げると、突き飛ばされた格好のままのしいなと目が合った。
 どれほど長く泣いていたのか。時間にして、そんなに経っていないはずなのにまぶたはパンパンに腫れて真っ赤で、さらに鼻も真っ赤になっていて、その瞳は潤んでいて。
 泣かせようと思っていたわけじゃない。結果として、こうなってしまっただけ。わかっていても、俺のために泣いてくれていたのは事実で、胸がちくりと痛んだ。
 それでも、ここで足止めを食わせたくない。放っておくとまた、顔が涙でぐしゃぐしゃになるであろうしいなに向けて、俺は無理に笑顔を作った。
 きっと今までで一番、下手な笑顔。どんな作り笑いの時でも、筋肉の動かし方を知っていたはずなのに、今はもう、わからない。笑顔にすら、見えないかもしれない。しいなだって、……他の、『仲間』だって、すぐに無理しているとわかるくらいの。
「……わかった。行こう、ロイド」
 しいなはそんな俺の顔を見ても納得のいかない顔を変えず、でも心なしか俯いて立ち上がり、ごしごしと乱暴に顔をぬぐって踵を返し、事の成り行きを見守っていたロイド達の方へ向かっていく。
 一歩。また一歩。おぼろげな足取りのしいなは今にも倒れてしまいそう。
 でもその後ろ姿をしっかりと見つめることは叶わず、必死にこじ開けていた瞼の重さはだんだんと増していくためにぼやけていく。
 ……ああ、最後にもう一度だけ、この手であいつに触れたかった。
 もちろん無理な話だ。こうしている今も、この体は自分の意志で動く気配を見せない。瞼はよりいっそう重く、そしてだんだんと眠くなっていく。不思議と、恐いとは思わない。また、さっきのように、沈んでいく。暗くて深い、底なしの暗闇の中に。
 どこか遠くから、俺の意識が俺の身体を見ているような。ふわふわとした浮遊感すらも感じる。
 まるで、今の体の状態からして正反対の感覚を覚えながらもゆっくりと、視界が暗くなっていくのを感じた。

 ……ただ、あいつらが無事に、コレットちゃんを助け出せるように。それだけを祈りながら、ゆっくりと、ゆっくりと。