出会いはいつも唐突で、予想することなどできない。
 そんなこと、とっくの昔から知っていた。
 それでも、今ほど、この出会い方に後悔したことは、ない。



   vivid memory



 真夜中の公園。
 入り口からまっすぐ、五十メートルほど離れたところに、女が座り込んでいた。
 女だと判別がついたのは、切れかかっていてちかちか点滅しているライトが、かろうじてその姿を捉えたからである。
 髪が長く、肌の白い、全身黒服の、女。
 例年以上の蒸し暑さの中、長袖で、しかも真っ黒で地面にもつきそうなほど長い髪をたらしているなんて、珍しいというか、どこか奇妙だというか。
 ともかくこんな深夜に一人、しかも女性が公園で座り込んでいるなんて危ないだろう。いやむしろ、なにかあったから座り込んでしまったのかもしれない。そう思いとにかく声をかけてみようとした瞬間、気づいた。
 俺から見て左側、女の正面に、対峙する、何かが、いる。
 少なくとも女の三倍はあるであろう、人ではない、何か、が。
 その何かは、街灯がなくてもはっきり分かるくらいに、何箇所か、青白く、ゆっくり、明滅している。いや、明滅しているといっても、もやのようにゆらゆらと、風もないはずなのに揺れているように見えるから、その青白いもやは表面を覆っているだけなのかもしれない。実際、明滅していない部分は、時々光るライトを吸収しているかのように真っ黒で、全くの闇で。
 これだけ距離があっても、それは俺に気がついているのではないかとさえ錯覚してしまうほど、生きているように、呼吸をするように、明滅し続ける何か。それから一瞬でも気をそらしたら、すぐに、それに取り 込まれてしまう、そんな気が、した。
 気がしただけ、なのに。

 この場から、逃げなくては。そう思った。

 そう考えるもう一方で、あの女を助けなくては。そう、思った。

 ただ、突っ立っているこの場から音を立ててしまったら。目をそらしてしまったら。
 次の瞬間、あの何かが、自分めがけて襲ってくるのではないか……おそらく、一瞬のうちに。自分が、気付きもしないうちに。
 そんな不安が駆け巡る。
 都市伝説も幽霊話も、そんなものはありえないし作り話だと、さらさら信じてなどいない。
 でも、こうして、現実として、人意外に存在するものを見てしまうと、笑い話にすることも、ましてや恐怖体験として人に語ることも、できるはずがない。
 ホンモノは作り話を凌駕する恐ろしさを持っている。それは当然かもしれない。でも、実際に体験してみないと分かるはずもない。
 虫の声も、風の音すら聞こえない、薄暗闇の中。
 頭はやけに冷静で、遮る物のない視界もいっそうクリアだ。
 代わりに、夏なのに全身鳥肌が立ち、足も地面に縫い付けられてしまったかのように動かすことができない。
 さらには呼吸の仕方を忘れてしまったようで、うまく酸素を取り入れることもできない。
 そして、目線の先にいる女とその何かから、一向に目が離せないまま。
 動くこともできずにただ、息を殺して、どうなるのかと見守ることしかできず。

 なんて、情けない。
 学校で、みんなの中心となって、鬼みたいな暴力教師にも立ち向かったこともある、この、俺が。
 人ではないモノに、こんなに恐怖しているなんて。

 つう、と一筋の汗が額から頬をつたい、足元にぽたりと、落ちた。
 ぎろり。
 瞬間、女の目がこちらを捉えた。
 擬音語が聞こえてくるくらい、しっかりと。
 決して近いとはいえない距離があるにもかかわらず、女の視線とぶつかる。
 気のせいなんかじゃない。現に女は、少しずつ顔をこちらに向けている。

 何もできないでいる自分が、見つかってしまった。
 その情けなさが引き金となって、とっさに、目線をそらしてしまった。
 それでもここから逃げ出すことはできなくて、またそうっと、視線を女に移す。
 しかし女はもう、こっちを向いてなどいなかった。
 代わりに、長袖の隙間からのぞく細く白い腕を天にむけて伸ばしていた。
 刹那。
 女の腕の一部が淡く紅色に光り、そこから出てきた眩いなにかが、目線をそらしていた今が好機とばかりにゆっくりと漂いながら女に向かい近づいてきていたモノに向けて勢いよく突き刺さり、

 そして、

 ともに飛散し、消えた。

 あとに残るのは、何も無い、暗闇。そして、思い出したように鳴き出した、虫の声だけ。


 一体、何が、起こったのか。
 さっぱり分からない。
 ただ、あの何かが消えたとこにほっとして、自分が何かをしたわけでもないのに足の力が抜けふらり、と後ろに倒れそうになる。
 が。
 倒れこむ前に、がし、っと肩を掴まれた。
 びっくりして振り向くと、そこには、俺よりもはるかに体格のいい、黒服にサングラスの、いかにもどこかの組の者です、って感じの男が二人。
 ……二人?!
 今の今まで、全く気配を感じなかった。ということは、やばい人達、じゃないのか?! 直感がそう、警告する。
 掴まれた肩を外そうともがいてみる、が、相手は大人。こちらはまだ、成長期の子供。さすがに体格差じゃ敵うはずもなく、抵抗むなしくしっかりと掴まれたまま。

「お嬢様からあなたにお話があるそうです。このまま、おとなしく私たちに従ってください」

 俺を掴んでいないほうの男が口を開く。口調は穏やかだが、どこか逆らえない雰囲気を持っている。サングラスでどんな表情をしているのかは読み取れないけれど、いずれにしろ眼は笑っていないだろう。瞬時にそう悟った。
 嫌だ、なんて、言えるわけない。言ったらどうなってしまうのか――。はっきりと示されてはないにしろ、子供が相手だって本気でかかってくるやつらだ、ろくなことになるはずがない。
 黙っているのを肯定と受け取ったのか、俺の肩を掴んでいる男が、ぐいと、俺の体を前へ前へと前進させる。つられて、一歩、二歩と、歩を進めていく。
 ここまできたら、もうなるようにしかならない。
 ただ見ていただけの俺に一体何の用があるというのか。……いや、見ていたから、見てしまったから、口封じでもするのだろうか。そうでもなったら、最悪の場合……。

「お嬢様、連れてまいりました」
「ありがとう、橘、羽鳥」

 うつむき、考えながら歩かされてきたせいか、気付けば、さっきまで遠巻きに見ていた女のすぐそばまで来ていた。
 声に反応し、はっと顔を上げる。がしかし。
 その顔を見た瞬間、一か八かでもいいから逃げ出さず、ただずっと、さっきまでの光景を見続けていたことを後悔した。

「有澤……佑月?」
「あら、私を知っているの?」
「知っているも何も……」

 ち、と勝手に舌打ちがでた。
 有澤佑月(アリサワユヅキ)。同じ中学に通う、学年内で、いやおそらく学校一金持ちのお嬢様。といっても、俺には関係のない人種だと考え、今まで一度も、関わったことなんかなかった。
 それ以前にこの女については、いろいろな噂が飛び交っている。
 絹糸のように細く腰まである長い漆黒の髪。一度も日焼けをしたことがないのではと思うほど白い肌。曽祖父が外国人だったらしく、うっすらと蒼みを帯びた瞳。赤ちゃんのようにふっくらとした唇。同世代の女子よりもスレンダーではあるが決して劣ってはいない身体。(以上、クラスメイトの話より)確かに同じ人間ではあるがどこか人間離れした容姿を持つ彼女は、男たちの注目の的でもある。
 しかし一方で、一年中冬服のセーラーを身にまとい、晴れている日には必ず日傘を差し、体育も何かしらの理由をつけては参加せず、大勢の取り巻き(しかも美形揃い)に囲まれている、だが成績はトップクラスの、謎の美少女なんて話も聞く。彼女が日に当たるのを極端に嫌がるのは、実は吸血鬼だからじゃないのか――なんて噂が水面下で流れているくらいに。
 それを知ってか知らずか、いや知っているからこそなのか、その行動は三年たった今も一向に変化を見せず、噂好きな女たちの恰好のネタになっている。
 それはともかく、俺はこの女が嫌いだ。中学三年間、一度も同じクラスになったことがないのは幸いだったが、移動教室ですれ違う羽目になったときでさえも、できるだけ廊下の端を歩き、目線すら合わせないようにしていた。
 そんな女が、何故、ここに?

「続きが聞きたいけれど、時間がないわ。あなたは私を知っているようだけど、私はあなたの事を知らないの。とりあえず、名乗ってくれる?」
「梶谷、修平」
「……そう。まあその名前でもいいわ。で、ところであなた、私の式になりなさい」

 そう言い放った女の眼は、まるで獲物を捕らえた動物のように、ぎらぎらと輝いていた。
 何のことを言っているのかさっぱりわからない俺の事情なんかお構いなしのように、一方的に突きつけられる、要求。

 ……俺がこの女を嫌う一番の理由。それはこの、他人を上から見るような態度。自分が一番、偉いのだというようなふてぶてしさ。
 この女にだけは関わりたくなかった。――そんな後悔も、もう、遅い。



next →