終焉、終幕、そして残るもの


 静かな夜。風ひとつなく、月がじっとこちらを静かに見守っている。
 これまで続けてきた長い旅も、ようやく終わろうとしている。
 それが果たして、どのような結果を生み出すのか。――何も知らずについてきたロイドやジーニアス、そしてしいなの目には、明日起こることがどう映るのか。
 夜が終わらないでほしいなんて、非現実的なことを少しだけ、考える。終わらなければ、コレットは天使になどならなくて済む。でも終わらなければこの世界は救われない。
 相反する考えと矛盾。考えてもどうしようもないことばかりが頭を巡る。
 これでは、考えを落ち着かせるためにベランダに出てきた意味がない。コクリと、持って来たマグカップに入っているホットミルクに口をつける。気持ちを落ち着かせるために一番効果がある気がする飲み物ですら、今の私には何の効果も与えてくれない。不安と絶望と、そしてほんの少しの期待が大きく渦を巻いているようで――。

「誰かの気配がすると思ったら、まだ起きていたのか」

 背後からいきなりかけられた低い声に思わず心臓が跳ねた。みんなが寝静まったと思って、こっそりと抜け出てきたのに。
「……クラトス、貴方こそ、もう眠ったと思っていたわ」
 声の主――クラトスの方を振り向くこともなく、返答をする。
「夜も更けてきた。そろそろ寝なければ、明日、身体が持たないぞ」
「ええ、分かっているわ。もう少ししたら、寝るつもりよ」
 そしてまたホットミルクを一口。相変わらず静かに光り輝く月がどこか、憎いとさえ、思えてしまう。
 ……後ろでこちらを眺めているであろう、常に冷静な、この男にさえも。
「……なら、いい。では、また明日」
「――待って」
 踵を返し、ここから去ろうとするクラトスの背に向けて声を掛けた。同時に、彼のほうに向き直る。呼応するようにクラトスはぴたりと歩みを止める。さらに、私が何かを言わんとしているのを感じ取ったのか、そのまま歩みを止めた。
「以前から聞きたかったのだけれど、貴方、本当はこの世界の矛盾を全て、知っていたのではなくて? 再生の神子の末路も、エクスフィアのことも、隣り合って存在するテセアラのことも。わざわざ他人を通じて聞かなくても、全て」
「……何故、そう思う」
 そこまで聞いて、こちらに向き直る。前髪のせいであまり感情の読めない顔は、いくら月明かりが差しているとはいえ、決して明るくはない薄暗闇の中で見ると、普段よりも威圧感を与えてくるようで。
「貴方が感情を表に出さない人だとはこの旅の中で知ったけれど、それでも、本当に何も知らなければ、突然そんな話を聞かされて心穏やかでいられるはずがないわ。違う?」
 一方的に気圧されているように感じ、少し怯みながらも、まだ仮定でしかない考えを連ねる。どうしても、言葉に出して違うと確認しておかないと、彼を信頼しきれない。
 ここまで来て、信頼できる、できないなんて考えるのは今更だと、わかっている。ジーニアスやロイドみたいに、純粋さが少しでもあればよかったのに、とこういうとき思う。疑り深くならざるをえなかった自分の性格は、彼に対する不安を隠せないでいる。
 しんとした、本当の静寂が、辺りを包んでいる。

「……仮にそうだったとして、それで何が変わったというのだ」
「え……」
「神子がどうなるか、そしてそれによって世界がどうなるか、知っていたところで変わるものなど何もない。現に明日、神子が天使となることによって世界は……シルヴァラントは繁栄世界へと変わる。それを止めることは、この世界を衰退しきったままにするに等しい。そもそも私たちの旅の目的はシルヴァラントの再生だろう? ……なら止める必要もなかろう。そんなこと、わかりきっているのではないか」
 一気に言われ、少しばかり瞠目する。
「そう、だけど……」
「……あの娘……しいなには残酷な話かもしれないが、私達にとっては待ち望んでいたこと、それだけだ」
「ええ……まあ、そうね」
 正論を並べられて、返す言葉が見つからない。この世界は、そういう仕組みなのだ。確かに、彼の言う通りだ。
 でも、どこか、腑に落ちない。

「話はそれだけか?」
「あ、いえ……、もう一つ」
「何だ」

「貴方――、一体、何者なの?」

 ……それが、なによりも一番気になっていたこと。
 この旅をする中で、彼は、私も、テセアラに住むというしいなでさえも知らないことを度々口にした。そのたびにいつも、どこか底知れない、深さを感じていた。
 今だって、そう。今まで出会ってきた人間とはどこかが決定的に違う。そんな気が、する。
 憶測で物を言うなんて、自分らしくないとは思う。それでも。彼が、護衛としての役割を終える前に聞いておきたいと、思ったのだ。興味本位――かもしれないけれど。

「……私はただの傭兵だ。シルヴァラントの復活を望む、な。――明日は早い。もう、寝るといい」

 彼はそれきり言葉を続けず、自分の部屋へと、帰っていった。私の質問に的確に、しかしはぐらかしているようにも取れる答えを返して。


 明日。この旅の終わり。シルヴァラントの再生。
 それでこの世界は救われる。ただし、それと引き換えに、隣り合っているというテセアラは……。
 彼は、正しい。恐らく、どこにもその正しさを否定できる点などない。
 でも、だからだろうか。正しすぎるがゆえに、彼の本心がわからない。ちいさな疑問が集まり不安となったものが、私の中で増殖していく。彼をやすやすと信じるなと、頭が否定する。
 ……こんなこと、一人で悩んでいたって、解決できるようなものでもない。第一目的は同じだと言っているのだから、余計なところに気を回す必要は無い。そう判断して、救いの塔を仰ぎ見る。
 雲を突き抜けはるか上空までそびえ立つ塔はやはり、何度見ても気分を高揚させる。
 ずっと遠くから眺めていた塔が、今はこんなに近くにはっきりと、見える。
 その塔の中に、入れるという喜び。
 でも、同時に、今まで味わったことのない、言いようのない、恐れを感じる。
 もしも、全てが運命という名で定められていて、抗うことができないのだとしたら。……例外など存在しないであろうそれに従う事しかできない私の、その運命を決めた“モノ”に対しての、畏れ。
 ――馬鹿馬鹿しい。実在するかもわからない“モノ”に恐怖するなんて。
 そう考えてはみたものの、この奇妙な高揚感は抑えきれず、ようやくまどろみ始めることができたのは、空が白み始めた頃だった。