コドモ


 子どもが嫌いなのは自分が嫌な子どもだったからか、幼馴染だったサフィールが、常にうっとおしいくらい自分に纏わり付いていたからか。何が原因かはわからないが、どうしても未だに時々、ルークをうっとおしいと思ってしまう自分がいる。
 彼の行動はまさに、小さな子ども、そのもの。軟禁状態で他にやることもなかったらしくしっかりと鍛えてある体躯とは対照的に、実年齢(という言い方が正しいのかわからないが)は七歳なのだから仕方がない。そう思えば思うほど、余計に、この子どもらしさを疎ましく思ってしまう。

 彼と再会してからずっと、私が彼の家庭教師代わりになっている。使用人兼教育係のガイがいるにも関わらず、だ。年齢や知識の量からいって、私の方が適任(とはガイの弁だ)だそうなので、それは別に構わない。が、問題は、彼が、自分が無知だと必要以上に自覚しているため、自分で考えればわかりそうなことまで一々私に聞いてくるところにある。
「なぁジェイド、あのさ、」
 また今日も、いつものように移動の合間に質問を持ち掛けるルーク。疑問が浮かぶとすぐに、私に問い掛けるのだ。それは些細なことから鋭く指摘したものだと私が感心できるものまで多々である。教師、と思われているのだから無下に扱うわけにもいかず、出来うる限りの示唆を与えているつもりだ。
 それは、いつもなら、の話。ただ、今日はやけに、虫の居所が悪かった。

「……ルーク、そうやって私にばかり頼るのはやめてもらえますか? 私は、貴方みたいに、自分で考えない子どもは嫌いなんですよ」

 ただでさえ不機嫌なときに尻尾でも振りそうな勢いで自分にまとわりつくルークに無性にいらついて、彼の呼びかけに対する返答に感情を込めてしまった。八つ当たりをした、と言った方が正しいのかもしれない。ルークが直接の原因ではないにしろ、彼に対して厳しいというより、冷たい、突き放すような言い方をしてしまったのだから。
 無意識に出た言葉を言い終わってからすぐに後悔した。普段はあまり感情を出さないように努めているため、ひどく怒っているように捉えられただろう。
 怒っているわけではないと弁解しようと口を開きかけたがしかし、彼は遠い昔、自分がいくら邪険に扱っても結局は自分にまた纏わり付いてきたサフィールに似ているようだとふと思った。それならきっと、どんなにひどく扱われようと、またこりもせず私の後を仔犬のようにくっついてくるだろう。実際、サフィールがそうであったのだから、ルークにしてみても、大丈夫だ。そう一人で自己完結して、そのまま彼を無視するように黙って歩を進める。
 数歩歩いて、後ろからなんの気配もしないことに気付いた。ややあって、振り返る。前を歩くガイ達はこんないさかいには気付いてないようで、私との距離は離れていくばかり。誰か一人でも欠けてしまえば、団体行動をする意味が無くなるのだから、立ち止まりたくはなかったのだが仕方がない。

「……ルーク?」
 やれやれ、すねてしまったのか、と思いつつ呼びかけるが、ルークはそれに答えなかった。彼は私が返答したその場所で、立ち止まっていた。いや、立ちすくんでいた。顔をこわばらせ、絶望に打ちひしがれたような目をこちらに向けたまま。

「ジェイドもやっぱり、俺のこと、嫌いなのか……?」

 自分がレプリカだとわかってから、屋敷内をはじめ至るところでレプリカだ、という目で見られていたのが相当こたえていたのだろうか。さっきの私の、少し苛立ちを含んだいらえでさえ敏感に受け取ってしまったようだ。


――彼を傷つけて、しまった?


「ルーク」
 少し慌てて弁解しようと彼の方に一歩、歩み寄る。かなりの距離があるにも関わらず、彼は私のその動作にびくりと肩を揺らし、じり、と後ずさる。それでも目線はこちらに向けたまま外そうとはしない。私も彼を見ているから、なおさら目線を外せないのかもしれない。
 また一歩、歩み寄る。すると彼もまた後ずさる。
 一方的に怯えられたからといって、余計に時間を割いてなどいられない。ずかずかと彼に近づき、いつも話すくらいの距離まで間をつめる。
 逃げることはできないと覚悟したのか、ルークはまるで叱られる前の子どものようにうなだれ頭を抱え、そして怯えていた。
「私はルークが嫌いだと言ったのではありません。ルーク『みたいな』子どもが嫌いだと言ったんです。それにもし嫌いなら、こうして話し掛けるわけないでしょう?」
 とりあえず落ち着かせようと、できる限り優しい声音で話し掛ける。とともに、くしゃくしゃと頭を撫でてやる。始めはびくり、と震えたルークも、優しくした声音に非難する色はないと理解したのか、されるがままになって俯いている。しかしうっとおしくなったのかいささか乱暴に手を払いのけ、こちらをしっかりと見据えた。身長差からくる上目使いでこちらを見やるその瞳はかすかに、揺れている。
「……ジェイド、俺のこと、本当に嫌いだろ」
 さっきよりいくらか顔色は良くなったようだが目の回りがやや赤い。泣きそうになるほど、私の言葉に衝撃を受けたということか。ただの八つ当たりに過ぎなかった言葉が彼に傷を与えたのだと知り、自分の言動を反省する。
「まさか、そんなこと、あるわけないじゃないですか。いつもいつも戦闘では先陣切って頂いて、大変感謝していますよ。私は年寄りなもので」
 それでも口をついて出る言葉は相変わらず皮肉交じりで。
「話、はぐらかしてないか?」
「いえいえ、信頼に値すると、言っているんですけれど。――ああ、立ち止まっている間に皆さんにおいていかれているみたいですねぇ」
「そこはのんびり言う台詞じゃないだろ?! ほら、ジェイドも早く、走れって!」
 さっきまで怯えていたのもどこへやら、そう言って軍服を引き、慌てて駆け出そうとするルーク。引きずられる形になってバランスを崩しかけ、しかし踏みとどまって私を掴む手をはずす。
「ジェイド?」
「私は走るのが苦手なのでどうぞ先に行って下さい。すぐに追い付きますから」
 どうかしたのかと、不安げに見つめる瞳にいつものようににこりと笑い返し、有無を言わさず従わせようとする。少しの間こちらを見ていたが、私が歩み始めるのを見て、彼はごしごしと袖で乱暴に目をこすったあと、わかった、とでもいうように走り出した。


 ルークは、サフィールとは違っている。全くと言っていいほど。
 似ている、などと思ったのは、表面しか見なかったから。表面しか、見ようとしなかったから。
 彼は確かに変わろうとしている。そして現に少しずつ、変わってきている。
 他人に執着することのなかった私が、こうして彼を気にかけているように。
 回りにもその影響を与えている。本人は全く、気付いていないようではあるが。
 生き物の死を理解できなかった、未だに理解していない私が、まさか、他人を大切だ、と思う日が先にこようとは。
 ……全く、私も年をとったものだ。
 くくっ、と喉で少し笑って、文句を垂れながら先を走るルークの背を見ながら、ゆっくりとまた、歩き始めた。